0.0000000000000013マイクロシーベルトの放射能を含む小雨が、降っていた。
台湾の父、蒋介石を讃える博物館「中正紀念堂」の正門で、ぼくをWelcomeしてくれたのは他ならぬ”鉄腕アトム”だった。
「原子小剛之父 手塚治虫 世界特展 7/9- 10/6」........... という文字に、アトムの絵が描かれた看板が台北の雨に打たれている。
”原子小剛之チチ”、の意味は正確には測りかねたが、アトム=原子ということなのだろう。福島原発の原子炉冷却作業を世界中が注視しているなかで、今年の秋に行われるのであろう鉄腕アトムの展示会予告巨大ポスターは、なんとも新鮮かつ衝撃的だった。アトムは、原子力の平和利用を密かに訴え続けているイメージをぼく自身ずっと抱き続けてきていたからである。それがまさか、311を境にアトムが生まれた高田馬場から220キロ離れた土地の住民を、強制退去させる羽目になるとは。
スクーター王国、台湾
懐かしい臭いが、した。
台北市内、午後ティーの時間。雨。そう、台北ではナント年間3分の一は雨が降るという。殆どが90ccのスクーターに乗った「ペイっ子たち」(台北→タイペイっ子、と名付けることにしよう)は、Rainに怯む様子もなく、雨がっぱを着用し乗用車の群れの前に立ちはだかる。まるで合法的な暴走族のようだ。
台湾、人口2300万人。スクーターの数、2300万台。
バナナ王国ならぬ、恐るべき”スクーター王国”なのである。
そのスクーター王国こそが、今回の311大震災において世界ナンバー1の義援金を日本のために集めてくれた。その額、じつに160億円。とてつもない数字である。1999年9月21日に台湾で発生した”921地震”は、M7.6 。20世紀台湾で起こった最大の地震であった。死者2500名近く。その時に日本が台湾の人々に送った義援金が14億円だったことを思うと、今回彼らが我が国のために集めてくれたお金が、いかにすごい額かがわかる。
「160億円をCollectしにいこう。いや、でなくて台湾の人々に感謝しに行こう。そして台湾という国の素顔を伝える160枚の写真を撮りにいこう」
ぼくは勝手に閣議決定し、翌日の朝7時、羽田空港発のChina Airlinesに飛び乗った。
そもそもこのネーミングが面白い。台湾の中華航空→ China Airlines. 中国の航空会社→ Air China.
北京としては、当然前者のネーミングが喉から手が出るほど欲しいはず。にもかかわらず、中国が未だに「国」として公式上1グラムも認めていない「台湾」が、”China” エアーラインズを名乗っている。というか、台湾は自らのことを公式には中華民国と名乗ってはいるものの、教科書でそれを記しているのは台湾だけだったりする。オリンピックなど国際的イヴェントでは、”Chinese Taipei” だし、日本も1972年に中国を国家として承認して以来、台湾を「独立国家」として認めていない。とはいえ、もちろん台湾を中国の一部として認めているわけでもない。というか、そんなことをしたら単なる自殺行為。
地図を見れば一発でわかる。台湾が中国に占領された暁には、次は沖縄がやられるだろう。かつてアホウドリが多数住んでいた尖閣諸島などではすまない。台湾側の再三の中止要求にもかかわらず、今でも1000発以上ものパンダ王国製ミサイルが、2300万人を擁する島国に向けられている現実を忘れてはならない。
そう、日本は地理的にも、軍事戦略上も台湾が”事実上の独立”をキープし続けるよう、全面的にバックアップする必要があるのだ。それこそがぼくら日本人の平和と安全のキープに、直結するからである。
新幹線700系が、パンダ王国を舐めるように飛ぶ
日本製の新幹線が、台湾では大人気。2008年に導入されて以来、最近になって年間利用者は12万人を突破したという。台中(台湾の中部)と最南端の第二都市、高雄にも空港はあるが、日本が誇る700系がデビューして以来は飛行機の国内線利用者が激減しており、倒産した国内線航空会社も少なくないという。よって今では新幹線が走らない花蓮といった、東側の都市への国内線フライトだけが、かろうじて運行を継続しているという。
現にぼくも高雄から台北に北上する最中、クルマのフロントガラス前方を”飛ぶ”白い物体を目撃した。
「ゆ、UFOか....」
何を隠そう、それはあの新幹線だった。富士山をバックに酒匂川を突っ切る新幹線、数寄屋橋の上を誇らしげに通過するあの新幹線が、今度は台湾の片田舎で堂々と爆走している姿は、恍惚なるエクスタシーそのものだった。ぼくは胸が誇りでいっぱい満タン、溢れ出しそうになったので、チェストを両胸で抑えた(と、最後の部分はウソである。ぺこり)。ただ、異国で自分が知っている我が新幹線を肉眼で確認することは、500万トンの衝撃であった。諸君、あれは現地で見なければわからないサマンサ”ヤバさ”.....なのだ。そう、ヤバい、ヤバすぎるくらいステキングだったのだ!
世界的には”Bullet Train” (弾丸電車)として名を轟かせているこの”Made in Japan” 技術の結晶を、アメリカ合衆国や南米ブラジルなどに売り込んでいく活動は、今後も継続していくべきだろう。それぞ今、忘れ去られた”Japanese Dream” 実現そのものである。
「セブンイレヴンは、3000万店アルよ」、と最初の晩、花蓮のホテルロビーで会った現地人 BenQは言った。
「ファミマも鬼たくさんあるよね」、とボクが言うと、「そうだネ、1000店か1500ぐらいアルネ?」との返事。
ちなみにファミリーマートは、台湾では「全家」とも記されている。この雀荘のようなネーミングが、またたまらない。
とはいえ、日本発の「コンビニ」は、カラオケ同様、台湾でもはやなくてはならない存在になっている。
コーラやポカリの350ml缶が、20元すなわち日本円にして60円。物価は日本の半額。平均給与がおおよそ日本の半分というから、それでトントンといったところ。屋台で食べる牛肉の入った麺類にしても、50元。150円だ。「ああ、もう六本木の光麺には行かない、いや、イケない.... 全部のせで1000円なんて払えない..........イムニダ」 夜店が並ぶ屋台でモグモグ食べながら、ぼくは自分の心のなかでそっとつぶやいた。なぜかウオンビンの語尾で。
日本は、日本人は台湾で愛されている。
今回の訪台でぼくは、それを強く感じた。まるで3ヶ月のトイプーにペロペロ舐められるかのような、甘い感覚だった。
今回の台湾への”公式訪問”の目的は、二つある。
1つ目は、なんといっても台湾人が被災地へ義援金160億円(繰り返すが、世界一の額)を送ってくれたことに対し、フェースブックならぬFace to Face (目と目をあわせて)で感謝することである。直接握手をし、礼をする。
そしてもう1つの目的は、「これほどまでに日本に義援金を送ってくれるタイワンなる国は、いったい何ぞや?」という謎を解明するためである。純粋に、自分の目デ見てみタイワン................
とにかく、そう思ったのだ。
ちなみに今回、ぼくは出発直前に朝霞にある自衛隊センターで「自衛隊員ズボン」を購入していた。迷彩服調のこのロングズボンには、左のモモあたりに日の丸のワッペンが堂々と縫い付けられており、その下に” Self Defense Forces JAPAN” と白文字でプリントされている。この「軍服」を着たままで台湾をぐるっと一周する、とぼくは最初から決めていた。
よって、現地ですれ違う人は「あ、日本人の軍人さんだ!」とまでは思わない(上がNYヤンキースのユニフォームだったりするので).................までも、ぼくが「日本の防衛省で働くスタッフの卵、ないしは防衛大臣の愛人の愚息だろう」ぐらいの感覚で勘違いしてくれることは、おそらく間違いないと読んでいた。いずれにせよ、ぼくは自分が日本人である、ということを一見にしてわかる服装を選んだのである。そうすれば、とにかく話は早い。
夜の屋台で、レストランで、高速道路のパーキングエリアで、コンビニで、お土産屋さんで、雨の中で、............... 現地の人と絡むたびに「日本陸軍総司令官谷山ゆうじろう」は、「謝謝」、しぇしぇ、とパンダとオウムの間の子のように連呼しながら台湾を駆け巡りはじめた。だって諸君、なんせこっちは、左モモに日の丸をプリントしてある「日本大使」。一目瞭然、日本人。賢明な彼らは、すぐにぼくの「しぇしぇ」の意味を汲み取ってくれた。
「さ、さすがパソコンのAcerを産み出した国だぜ。。。。あ、そういえばスマートフォンHT03Aもだったな.....みなPentium 9レヴェルの性能、いやとにかく理解が早い.....ぜ」
陸軍総司令官は、1人でうれしそうに頷くのだった。
カメラレンズをたびたび向け、160億円ならぬ160枚の「台湾スマイル」を撮るべく、シャッターを切り始めた。東海岸側にある花蓮でも、高雄でも日月譚でも、台湾マンゴーに包まれたような柔らかくジューシーな反応をもらったのだった。レンズを向けて拒否られることは、殆どなかったと言っていい。これはこれでまた、スゴいことだと思う。
では、なぜ台湾の人々はそこまで親日的なのだろう?
ぼくのチワワ大の脳みそに、ふと疑問が湧いた。
そこでここで1つ、おさらいをしてみたい。
賢明なる読者諸君は、ご存知だと思うが、ようは台湾の親日感情の裏にはまず、1895年から1945年の五十年間にも及んだ日本統治時代の成功が根底にある。
”台湾農業の父”、として今も現地の教科書に載る八田与一が1920年に着工し、1930年に完成させた鳥山頭ダム。これは当時、世界一。灌漑用水路16000キロを誇るこのダムは、日本敗戦後も台湾の近代化に貢献した。また、1973に完成し今もフル回転中の曽文渓ダムも与一が設計したものである。彼は1942年にフィリピンに向かう途中、アメリカ海軍の潜水艦に船が撃沈され死んだが、その3年後の1945年9月1日に与一の妻は鳥山頭ダムの放水口に飛び込み自殺している。地元の農民たちがそこに建立した二人のお墓は、今も花束が絶えないという。
「な、なんて淡い、でもステキングな話なんだ。語り継いでいかねばならない。この一途な想い、この苦悩、この愛」
ぼくは思わずため息をついた。
今回、ぼくは台北から出発し、右側からぐるっと一周まわったのだが、2日目のお昼前のことだった。
花蓮駅で高雄行きの特急列車を待っていると、突然”美空ひばり”が現れたのだ。
ぼくはクスリはやっていないので(たまに「どこで購入してるんすか?」と平日の昼間から初対面の人に聞かれることもあるが)、幻覚症状かと思ったが、いや、そうではなかったのだ。
この八十歳近いと思われるおじいちゃん、ここでは李冬季(りとうき)と呼ぶことにしよう。
日の丸の自衛隊ズボンを見てすぐわかったのか、李冬季はいきなり陸軍総理司令官の前で、日本の演歌を歌い始めたのである。
「美空ひばりだよ。いいでしょう」
あまりに嬉しそうに、そして気持ち良さそうに歌い始めるので、ぼくは口に入ったストロベリーポッキーを噛むことさえ忘れた。曲が終わったころには、溶けていた。
ちなみに李冬季が歌ってくれた歌でぼくが知っている歌は残念ながら1つもなかったが、それはすべてが戦前の歌だったからかもしれない。「川の流れのように」なんて長谷川理恵ちゃんの新恋人の元奥さん(ようは松田聖子)デビュー後に書かれた歌だし。
それでもぼくは、あたかも全曲知っているようなフリをして、聞き惚れてしまったのだった。
また、驚いたことはかなり混雑した待合室のなかで”美空ひばり”が、陸軍総司令官谷山ゆうじろうの前で出張コンサートしていても、周りの人は誰1人として驚かないことである。レスリングの浜口京子のパパよりも大きな声で次から次へと”新曲”(ぼくにとっては)を連射してくる李冬季。これがもし、武蔵小杉駅だったら通報されているにちがいない。ところが、台湾ではご老人が日本を完璧に操り、日本語でしかも屋外で歌うことに対する拒絶反応など0.003ミリシーベルトもないのである!
OMG (oh my god..).... 陸軍総司令官は、思わず”敵国用語”でうなってしまったのだった。
東京駅
台湾南部にある都市、高雄。
台北が人口280万の大都市であるのに比べ、高雄は170万人の第二シティ。
この”高雄”のネーミングも、日本統治時代に「京都のそばにある高雄」からパクってつけたものだという。
付け加えるならば、今回、ぼくが着陸したエアポート。その名も「松山空港」。
「マツヤマくうこう?」
そう。読者諸君、なんとこの空港を戦前設計した人が、たまたま愛媛のマツヤマ出身だったがために、このネーミングがついたらしい。ウソのようなこのtrue story. それを今も使っているのがたまらない。
北の台北市には、ほかにも「三重」と表記する大都市や、「板橋」というビッグシティも存在する。
「板橋は台湾では大きな都市アルネ」 と地元の人から聞いた陸軍総司令官。
「ま、まじですか?日本では。。。。志村三丁目って駅が1つあるくらいで、とにかく三丁目の夕陽のような小さな風情あるリトルシティですよ」、と切り返したが。
1903年に台湾で起こった大地震では、13万人が亡くなったとも言われている。特に清朝の悪しき風習である「纏足」によって逃げ切れなかった女性の多くが犠牲になった。日清戦争で勝利し、1895年から台湾を割譲され統治し始めた日本人は、この大地震を機に纏足そのものを禁止にした。こうしたある意味”英断”も、ある意味評価されているといえよう。今の我が国においても、こうした大胆なポリシーの転換が求められているということは言うまでもない。
「あの山の向こうに、鳥山頭ダムがアルよ」
高雄から台北に向け高速道路を北上中、現地ガイドの小懐石(しょうかいせき)が言った。そう、前述した八田与一が十年かけて作ったダムである。当時世界一の大きさを誇ったダムが、日本人がここ台湾で作ったダムが、もう目と鼻の先にあった。
晴天下、ぼくは目を細め、遠い前方に浮かぶ緑の山々のラインをじっと見つめた。
首都の台北に戻ると、高雄で30℃あった気温が、若干落ちていた。
ちなみに台湾マンゴーは、種までしゃぶりつくしたくなるジューシーな味わいであったことも付け加えておこう。(というか、そうしたのだが。犬のように噛み付くした陸軍総司令官であった)
この台北には、日本人が作った建造物が特にまだ沢山のこっている。
「と、東京駅じゃねえか! ま、丸の内北口か?」陸軍総司令官は、クルマのなかで勝手に叫んだ。
何を隠そう、1905年に完成した当時の台湾総督府庁舎は、今の東京駅そっくりの作りだったのである!
ちなみにこの建物は、現在も台湾の最高権力者、ヨーヨーマーならぬ “Mr.Ma” こと馬英九総統が毎日の仕事場として使っている。モロキューならぬ「マーエイキュー」総統が、誇りをもって国家の意思決定を下す場所、それぞかつての台湾総督府。こうした”古き懐かしき日本”が、台湾にはぎっしり詰まっている。それは1度足を運べば3秒でわかる。
下水道、電気、農業、鉄道。
いまの台湾のインフラストラクチャーは、すべてが日本人によって作られたといっても過言ではない。特に鉄道にいたっては、新幹線はもちろんだが、ローカル線のレールも戦前に敷かれ今日にいたる。お米にしても、「台湾で作れるコシヒカリ」をモットーに、とある日本人技師(名前は忘れたが)が、品種改良して当時”日本領”であった台湾に持ち込んだのが、今も主流だという。確かに現地のお米は魚沼産にはかなわないが、パサパサしたタイ米とも明らかにちがうもっちり感がある。
いずれにせよ、台湾の人々の意識の根底には、こうした「日本人から受け継いだもの」への感謝の気持ちが今でもあり、それが今回の被災地への義援金160億円につながっているとぼくは考える。どこかのパンダ王国は三億円というから、もう話にならない。それぐらいの巨額といえる。
「チュウゴクから観光客最近ふえてるアルね。でも中国人、めちゃくちゃマナー悪いネ。撮影禁止でも撮るし静かにしなきゃいけない場所でもワメクし噛んだガムは国宝が飾られてあるお寺で吐き出すし.............. もう最高アルネ」
現地のガイドは、もうパンダにはお手上げという素振りをみせた。
若干、政治的な話になるが向こうのホテルで現地のニュース番組を見ていると世論調査の結果がでていた。台湾では2012年三月に大統領選があるが、「1つの中国派」で現職の馬総統が31%だったのに対し、野党民進党主席の蔡氏が34%で優勢。女性候補の蔡さんは独身だという。仮に彼女と一緒になったらファーストレディならぬ「ファーストボーイ」、いや「ファーストマーン」と呼ばれるのだろうか? などと妄想を3.3秒ほど膨らませてしまったが。
どうであれ、今現在、台湾のリーダーたちは「独立」という二文字を公言できなくなっている。
パンダ王国側が”Independenceを少しでちらつかせたら、貿易やめるぜ”、と脅しているからだ。現に、輸出の四割をパンダ王国側に”依存”している台湾としては、経済成長していくうえではこの”お客様”を大切にする必要がある。ところが、「パンダと合体したいですか?」と国民に問いかけると70%以上がNO!と言う。
よって「すでに台湾は独立してるんだから、わざわざ表立っていわなくても大丈夫よ」、といった微妙な言い回しをせざるを得ない立場に台湾のポリティシャンたちは置かれているのだ。
また、パンダ王国は千発とも二千発とも言われるミサイルを、台湾に向けた状態でスタンバイしていることも忘れてはなるまい。
「地震と津波と放射能でトリプルアタックされている我が国だが、同胞台湾が置かれている現状も忘れてはいけない。160億円もの義援金以上の価値があるもの、それぞ台湾のパンダ王国からの独立なんだ」
陸軍総司令官谷山ゆうじろうは、台北からクルマで1時間ほどいった九分(分はニンベン付き)のお茶屋さんの一室から、尖閣諸島の方向をみつめ、140文字以内でつぶやいた。ご存知の読者もいると思うが、ここは「千と千尋の神隠し」の舞台モデルとされている山の上にある町。映画のなかでパパとママがブタにされちゃったように、解体したブタを切り売りするオープン軽トラが、停車していた。
「ハクー! ハクー! りんちゃあん?」
と絶叫して日本アニメを世界に売り込もうかと一瞬思った司令官だったが、すでに台湾では日本アニメは大人気なので、やめておいた。
台湾と原発
宮崎駿監督も、きっと台湾は大好きなんだろう。
だからアニメの舞台として、選んだにちがいない。
その台湾の原子力発電への依存度は、現在12.5%。日本の三割に比べたら、かなり低い。水力発電が安定した供給源だというが、それでも間もなく四つ目の原発が完成する予定である。
ところが!だ。
福島第一原発の放射能漏れによって、今、脱原発の動きが加速中。
現にぼくがいた時も、「野党民進党は、すべての原発を停める方向をすでに打ち出しており、四つ目は住民の反対運動が起きている」と地元の人が言っていた。
この急速なエナジー戦略の転換は、じつは台湾の地理および人口分布が絡んでいる。
現地ガイドの蒋介石、いや小懐石は言った。
「北部にある台北県の人口420万人、そして台北市は280万人いるアルネ」
「なるほど。それで原発はどこにあるんですか?」 ぼくは聞いた。
「それ、いい質問アルよ。ゲンパツはナント三つとも台北県最北端の金山に集中してイルネ!」
彼はよくみると、西武ライオンズの渡辺監督に顔がクリソツじゃないか。まったく会話と関係のない”真実”を見いだしたぼくは、ふと野球がやりたくなった。呂メイシ。ケツメイシ。郭台源、いや、なんといっても台湾ブラッドの野球人といえばソフトバンクホークス名誉会長の王サン、王貞治総統。
ハッと、陸軍総司令官谷山ゆうじろうは正気に戻った。
「つ、つまりMr.Chiang Kai Shek, ということは、もしも仮に原子炉が爆発したら人口の30%にあたる700万人が避難する羽目になるってことイムニダ?」
「チョン○ヨー」 とは、彼は答えなかった。そうだ、ここは台湾だった。Not北朝鮮。
「そうなんデス。とっても危ないアルネ。台湾の人、みなそれわかってるアルよ」
原子力発電は、CO2を殆ど出さないという意味においても、また発電効率が抜群にいい観点からも「平時」には最高だ。しかし、311のように地震などで事故った場合、「最悪」な悪魔へと変身する。それはぼくら日本人が今、身をもって体感している通りだ。とくに原発の近隣住民のみなさんは、今夜も安眠できない不安と隣り合わせでお布団に潜り込む。
台湾は12.5%しかない原発への依存度を減らしていく方向に進もうとしている。
さて諸君, what about us?
Good energy, Good electricity.
謝謝
雄乃字